継ぐなんて考えたこともない
――子どものころは、家業についてどう思っていましたか。
石岡酒造は1972年に四つの蔵が合併して誕生しました。現在の製造量は1000石(18万リットル)ですが、当時の製造量は10000石(180万リットル)以上で、県内でも最大級でした。
合併した際に製造場所が高台に移り、私の実家ではお酒造りをしていません。父は実家から「石岡酒造」に通っており、私はいわゆるサラリーマンとしか思っておらず、何の仕事をしているのかも知りませんでした。
お酒造りが「家業」という認識が無く、継ぐなんて考えたこともありませんでした。
――冷水さんは一度は家業に入らず東京で就職しました。お酒との縁はありましたか。
20歳になってお酒を飲むようになりましたが、ビールやカクテルが中心でした。初めて石岡酒造以外の日本酒を見て「そういえば実家は日本酒を造っているんだな」と思い出したくらいです。お酒もあまり強くはありません。勤務先もプリンター系の会社でした。
酒蔵は不思議なことばかり
――実家に戻ることになったきっかけは。
2018年、母から「父が倒れた」と連絡を受けました。石岡酒造は経営陣を筆頭に事務、営業、製造の3部門に分かれ、社長である父が不在でも生産を止めずに仕事を回せました。
ただ、徐々に決済の必要がある事柄が出てきて、会社から母に連絡が入ることが増えました。しかし、母はそれまで酒蔵の仕事にはノータッチで、毎日のように慌てふためく状態でした。
私も当初は前職の有給休暇などを使いながら手伝いました。東京での仕事も好きだったのでなかなか決断できず、半年以上行ったり来たりを繰り返しましたね。
蔵に関わるうち、私がやるべきことが多いのではないかと思い、18年12月に酒蔵に戻ることを決めました。
――酒蔵の仕事を始めてどのような印象を抱きましたか。
契約書が無かったり、口頭だけで注文のやりとりが発生したり。前職の業界と比べると不思議なことばかりでした。
伝統産業ゆえに変化を嫌う組織で、外から言われたことは簡単には受け入れようとはしません。
例えば、売り上げはあるけど利益が全く出ない商品を終売するように指示すると、営業部門から「その商品を辞めたら売り上げがなくなる」という声があがり、なかなか受け入れてもらえませんでした。
また、営業と配達の担当が同じ顧客先を別々に訪ねていました。「営業あいさつの時に配達もすればいいのでは」と考えたのですが、部門を優先する考え方が根強く抵抗がありました。
素人目線の率直なSNS発信
――冷水さんが石岡酒造で着手したことは何でしょうか。
大きく分けて三つあります。SNSを活用した情報発信、新商品のプロデュース、商品ラインアップの絞り込みです。
最初に手を付けたのはSNSの情報発信です。私はインスタグラム、信頼を置く女性スタッフがツイッターを担当しました。
――SNS発信で意識したことは。
酒蔵業界の素人目線で率直に思ったことを投稿し続けました。
「売る予定だった商品がキャンセルとなり、在庫が100本残ってしまった」というように、普通の酒蔵は表に出さない舞台裏もどんどん投稿しました。
踏み込んだ内容を、周囲の酒蔵から心配されましたが、隠すようなことは何もないと考えていました。私はスタッフを信頼していたので特段チェックはしませんでしたし、「事実を恐れずに伝える」というのが石岡酒造のカラーだと思っています。
SNSの積極的な活用で今までとは違う層のファンが増え、私たちが参加するイベントも大盛況となりました。ECサイトの注文もたくさん頂けるようになり、もともとゼロに近かったサイト経由の売り上げが会社全体の20%を占める月もありました。
女性に訴えかける日本酒を開発
――冷水さんが新商品をプロデュースしたと伺っています。
私が入るまで石岡酒造は新しい商品を生み出す酒蔵ではありませんでした。ラベルをまじまじと見ると「昔ながらの味はあるが、少し地味なラベル」でした。
「1本くらい奇抜な商品があってもいいんじゃないか」と感じたのです。
当時、石岡酒造の女性のファンは皆無だったので「女性にも手にとってもらうことに徹底的にこだわった商品」という企画を立ち上げました。
――具体的にはどういうことでしょうか。
ラベルと瓶の色を見て思わず手に取り、SNSでつぶやきたくなる商品になります。色は目立つ「赤」にしようと決め、そのラベルに合う瓶を模索しました。
遠くから見てどれが目立つかを重視していたため、大きなホールで様々な色の瓶に赤いラベルを貼ったものを並べ、社員全員に投票してもらいました。
その結果、「赤いラベルと青い瓶」が最も目立つという結論に達し、新しい銘柄の「米音」が誕生しました。ラベルは私の知り合いのデザイナーに依頼し、女性がお酒を飲んでいる横顔を描いています。
プロに任せることの大切さ
――米音の味わいはどのように設計・開発しましたか。
試行錯誤の連続でした。製造責任者である杜氏と何種類ものお酒を味わいながら「こんな方向の味にしたい」と、何度となくやりとりをしました。
試作品を飲むとリクエストした通りの柔らかい味わいになっていて驚きました。コンセプトに合わせ、通常よりじっくりと時間をかけて発酵させることで優しい舌触りの酒質を実現できたとのことです。
私は「杜氏って本当にすごい」と思うとともに、プロフェッショナルに任せることの大切さを学びました。
――「米音」の反響はいかがでしたか。
まずは、同年代の女性の友人に飲んでもらい、「おいしい」と言ってもらえました。地元以上に都内にある茨城県のアンテナショップでの反響がすごく良かったです。
「1回やってみよう」が口癖に
――商品ラインアップを絞り込んだと伺っています。
これまで、時代に合わせてお酒のコンセプトを変え続けたため、プライベートブランドやスポット品まで含めると100種類くらいの商品がありました。それを、メインブランドに集中できるように絞り込みを進めています。
特定のお客さんのみに出している特殊なお酒については、徹底的に絞り込みましたが、営業からは強い抵抗がありました。
確かに担当者から見れば、それぞれのお客さん向けの重要な商品です。しかし、経営者目線で見れば商品構成が多いほどコストがかさみます。
代表銘柄の「筑波」を前面に押し出すためにも商品を絞り、20種類くらいまで抑えました。ただ、それでもまだ多いかなと思っています。
――社内の抵抗に対して、どうやって説得したり理解を得ようとしたりしましたか。
伝統産業の日本酒業界は前例踏襲が多く「前からそうだったから」と言われます。そうした声には「まずは1回やってみましょう」と説得するようにしています。
気が付けば「1回やってみよう」が最近の私の口癖になってしまいました。
蔵元杜氏も考えたが・・・
――業界では(経営と製造の両方を担う)蔵元杜氏が注目されていますが、冷水さんはお酒造りには携わらないのでしょうか。
戦略的に、やってみようと考えたことはあります。「蔵の娘が帰ってきて蔵元杜氏として挑戦」というのは話題性を生むと思いました。
でも、私自身はお酒造りのエキスパートではありません。ものづくりに対してリスペクトをしていますが、自分に向いているとは思えませんでした。
それならお酒造りは信頼できるプロに任せ、私は社内のマネジメントに特化した方が、全体としてのメリットがはるかに大きいと思います。
お酒造り以外の仕事も、任せられるところは思いっきり人に任せるようにしています。
「頑張りたい」と思える環境を
――石岡酒造をマネジメントするエネルギーは、どこからわくのでしょうか。
もし自分自身で起業した会社なら、つらくなったりしんどくなったりしたら辞めるという決断がすぐにできるかもしれません。
でも、石岡酒造は社内外を含め、長い歴史の間で関わってきた人が多く、どんなにしんどくてもやめる決断はできません。つらい時もありますが、今までの恩を返すために覚悟を決めて臨んでいます。
――コロナ禍による酒類提供の自粛や日本酒離れが進むなど厳しい環境が続きます。石岡酒造はどのような戦略を考えていますか。
まずは社内の若いメンバーが「楽しい!頑張りたい!」と思って働ける環境を整備しています。
そのためには、過去に敬意を払いつつもこだわり過ぎず、新たな製法や販路、新規顧客の発掘に積極的に取り組むことが重要です。
ものづくりの現場である酒蔵で若いメンバーがいきいき働くことで、若い世代に「酒蔵で働く」というスタイルがもっと広まり、当社だけではなく業界全体が盛り上がると考えています。
今できることでベストを
――今後の石岡酒造について、どのような展望を描いていますか。
現在、社長代理の私が社長から業務を引き継ぎながら改革を進めていますが、正直目の前のことをこなすのが精いっぱいで、長期的な展望は考えつきません。そのため、今できることでベストを出し続けることに尽きると思います。
変化が疎まれがちな業界ですが、私なりに一生懸命改革を続けた結果、良くなってきたこともあります。
例えば、18年時点の売り上げ構成は卸(問屋)がほぼ100でしたが、SNSやECサイトの活用で消費者が直接当社のお酒を指名して買ってくださることで、今は一般小売りが4割になる月もあり、利益率の大幅な改善につながりました。
このまま改革を続けた先に、もしかしたら酒造業とは違うことをやっているかもしれません。でも、それが一生懸命やり続けた結論であれば、最善の選択肢と思って仕事に取り組んでいます。
「自分自身で決断したことは、結果がどうであれ全て正解。つらくてもしんどくても一回頑張ろう」
これが私のモットーです。
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